「自由に生きる」の本当の意味ってわかってる?

「自由に生きる」の本当の意味ってわかってる?


ちゃおしこ!
カルロ・クマですฅʕ•ᴥ•ʔฅ

起業家です!とかいう自己紹介する人見ると「なんじゃそりゃあ」と感じる昨今。

最近の若い人(とかいうくくり方は嫌いだけど、あえてわかりやすくするためにくくってみる)は、会社に飼われない自由な生き方を模索する人が多い。

情報起業家
アフィリエイター
ブロガー
ユーチューバー
せどり
転売
なんちゃらコンサルタント etc…

しかし、本当にそれって自由なのかなって感じることがある。

結局、誰かの真似をしている限り自由なんて言えないんじゃないかと思う。本当の意味でね。

今、上にあげたような世界で活躍して、それなりに稼いでいる人たちって、元々そこに何もない時代から参入していた人たち。

つまり、海のものとも山のものともつかない段階で、それなりに自分の中で確信して、自信をもってやってきた人たちだと思うわけです。

当然、先人はいないから、そんなことやっても儲からないよとか、馬鹿にされてたはず。

しかも、職業としての認知なんて全然ない。

今でこそ多少は理解されるようになったものの、職業なんて名乗ることさえおこがましい雰囲気の中で、胸を張って頑張ってきたからこそ得られた、今のステータスなんだよね。

だから、今からブロガーを目指すとか、アフィリエイターになるとかいうことを「自由に生きるために」なんて、張り切っちゃうのて、ちょっと違うんじゃね?と。

自分で選んでいるのは、誰かがつけた道筋を辿っているにすぎないってこと。

既製品の服を着て、自分はすげーおしゃれだとか、自由なセンスの元に服を選んでるなんて思ったら大間違いだから。それ、着てる人沢山いますから!っていうね。

極端に言えば、たまたま隣に同じ服を着てる人がいないだけだよ、それ。

ブロガーにしても、ただやる人が少ないから、優位性があるだけだし、もうすでに誰かが作った世界でしかない。それを目指すことが自由な生き方かなって思う。

きつい言い方をすれば、狭い自由だなって。

狭い自由でも、もっと自由でない人もいるから、それから比べれば自由であることには変わりないけど。

でもね、本当の意味で自由に生きるって宣言出来るのは先駆者だけなんだって自覚がどこかにないと、結局は知らないうちに踊らされる側になるよって話です。これ、さらっと書いたけど結構深いな(笑)

自由ってすごく勇気がいること。

誰かが作った道筋を辿るのって別に勇気じゃない。誰かがやってれば、不安なことなんて何もないから。

ブロガーが生まれる前は、ブログでお金稼げるなんて思う人がいなかった。

ユーチューブだって、それが職業になるなんて最初は誰も考えなかった。

でも、先駆者は違った。

なぜならば、真の意味で自由だったから。

自由な人は何も恐れない。

自由=勇気 だと思います。

それが何だという名前もつけられないようなものに、情熱を注げる人間に私もなりたい。

好きなことが出来ること自体が、自由ではあるんだけど、どうせやるなら高みを目指したい。

新しい言葉や地位が生まれるような場所に自分もいたいなって思う。

少なくとも自分は、そういう志をもって生きていきたい。

だから自由に生きるを標榜する若い人たちには、もっと自由に生きて欲しい。

自由な時間を得るだけでも、お金を稼ぐだけでもなくて、もっと新しい価値が生まれる瞬間に立ち会うぐらいの気概で色んな事して欲しい。

そう、おじさん臭く発言してみる次第です。

んで、俺も頑張るし!(笑)

追記:趣味で集めてる名言ストックの中にこんな言葉があった。

現代人は自由そのものを求める。何かをしたいための自由ではなく、何かをしないための自由である。(福田恆存)

うん。ビンゴ。

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